サマータイム・ブルース(「20才になれば」B面)
この曲は桜田淳子さんが1978年9月5日に24枚目シングルレコードとしてリリースされた「20才になれば」B面曲のサマータイム・ブルースとなります。
「しあわせ芝居」「追いかけてヨコハマ」と中島みゆき路線の続きになりますが、全曲中島みゆきサウンドを占めた同名の13枚目のアルバム「20才になれば+3」との、ほぼ同時期の発売となりました。
ただ色々あったようですね。
一部のファンの間では、根強い不信感を未だに引っ張っている人もいるようです。
興味のある方は後半部分に書いておきますので、暇があれば読んでみて下さい。
森昌子・桜田淳子・山口百恵さんの三人で中三トリオから高三トリオまで歩んできました。
森昌子さんは演歌という二人とは違った分野なので、あえて取り除くとすれば、桜田淳子・山口百恵さんとは、やはりライバル関係にならざるを得ません。
1976年に山口百恵さんが「横須賀ストーリー」リリースを、阿木燿子・宇崎竜童夫妻にお願いしたことで、百恵さん自身は新境地を切り開き、押しも押されぬトップスターへと大きく飛躍します。
そしてライバル関係にあった桜田淳子さんの陣営もこれに負けるな、ということで、当時大人気だった中島みゆき作品で、大人の歌手への脱皮をはかります。
桜田淳子陣営としては、1+1は3にも4にもなるという相乗効果を期待したのですが、実際には期待したほどの効果は上がりませんでした。
それによって20才という人生の一つのメモリアルを節目として、結果としては迷走状態へと進んでいくことになってしまい、歌の方向感を失ってしまいます。
桜田淳子さんが実際に20才になって初めてリリースした曲は「リップスティック」です。
ご存じのように筒美京平サウンドです。
続く「20才になれば」は作詞・作曲ともに中島みゆきさんですが、このB面に当たる「サマータイム・ブルース」は筒美京平さんの作曲によるものです。
この「サマータイム・ブルース」については淳子ファンでも好きな人が多い楽曲です。
だからこそ次の楽曲については、ファンの期待も大きかったわけです。
しかしとうとう桜田淳子ファンを嘆かせてしまう事件が実際におきてしまいます。
この「20才になれば」の後に実際にリリースされたのは「冬色の街」でした。
しかしこれは予定外のリリースでした。
直前に差し替えられた楽曲でもありました。
実際に所属レコード会社が発表した新譜情報では
『裏切りミラー/最後の20セント(A面/B面)』
(両曲とも 作詞;ちあき哲也 作曲;川口真)となっています。
後にこれは翌年にリリースされた一枚の絵+8に収められると共に新譜は「冬色の街」に差し替えられました。
そして『裏切りミラー/最後の20セント(A面/B面)』のシングルリリースは幻の曲となってしまいます。
この状況の背景にあると言われているのが、桜田淳子さんがデビュー時にお世話になった中村泰士先生から、「淳子さんが20才の時になった時に歌って欲しい」との想いから作った曲が提供されたことも一因だと言われています。
それは『小心者』という曲です。
曲調は和製シャンソンのような感じです。
1980年発売/梓みちよ
A面 小心者
B面 純情馬鹿
両曲共 作詞・作曲 中村泰二(レコード番号 07SH-836)
詩を見てわかるように、ワンランク上のステージへと誘う姿が描かれています。
比較的人気の高い歌でもあり“通”の間では名曲として絶賛されている歌でもあります。
しかし、桜田淳子さんがこの曲を歌うことはありませんでした。
どのような経緯があったのかはわかりませんが、後に梓みちよさんの歌としてリリースされます。
色々と二転三転した挙げ句に、結局は「冬色の街」で、あちら立てるとこちらが立たずというトラブルを避けたのでは?ないかと思われます。
しかし往々にしてこのような曖昧な態度を取った時というのは、最終的にはあまり良い方向に進むことは無いように思います。
桜田淳子さんとて例外ではありませんでした。
そしてこの後に歌の方向性を見失い、歌いたい歌を気ままに歌うといった感じへと進んでいきます。
コマーシャルとタイアップしたと思ったら、ドラマの主題歌を歌う。
何とかペイだけすれば良いといった姿勢が伺えるようになります。
そして桜田淳子さんは女優での仕事が中心になってゆきます。
