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「桜田淳子メモリアル」ご訪問頂き、有り難うございます

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レーベルや事務所の違いから映像化されていなかった「初恋時代 / 出発(たびだち)」がとうとう映像化されて2011年8月31日に発売されました

こちらは2011年10月20日に入荷予定です。

桜田淳子 BOX -そよ風の天使-アンコールプレス盤

沢山のファンの方々から提供された貴重な動画などがございますので、アクセスが1つの記事に集中・過熱しました場合は動画提供者の方を守る意味でURLや動画の変更などを行う場合がございますので、ご理解・ご了承宜しくお願い致します。

一番下の部分に「桜田淳子さんプロフィールなど」がございますが、そこをクリックしますと桜田淳子さんのデータなどのページが開きます。

尚右サイドバーのシングルレコード一覧の部分で
一番左端に付いている白抜き数字は、デビューから順番に何番目のシングルリリースかを示す番号になります。

桜田淳子さんはデビューした2月25日に合わせるかのように20歳まで毎年ほぼ2月25日にレコードをリリースしています。

右端に付いている黒抜き数字につきましては何周年なのかを表しているものです。
「三色すみれ」はデビュー1周年の2月25日に発売されたという意味になります。

尚表記に付きましては
「桜田淳子」で統一しております。
(できるだけ敬称は略さないようにしたつもりですが、一部省略した箇所もあります)

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病院坂の首縊りの家 共演者の桜田淳子評

市川崑監督がメガホンを取った「病院坂の首縊りの家」
その映画の中で重要な役どころを演じた桜田淳子さん。

そんな桜田淳子評を市川崑監督を始め共演者の方々が語ります。
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+ 桜田淳子さんプロフィールなど:クリックするとリストで表示されます
淳子さんのレコード一覧と発売日

これが一覧表になります。

どうぞご参考にしてみて下さい。

曲の題名発売日
昭和48年天使も夢みる1973年2月25日
天使の初恋1973年5月25日
わたしの青い鳥1973年8月25日
花物語1973年11月5日
昭和49年三色すみれ1974年2月25日
黄色いリボン1974月5月25日
花占い1974年8月25日
はじめての出来事1974年12月5日
昭和50年ひとり歩き1975年3月5日
白い風よ1975年5月10日
十七の夏1975月6月5日
天使のくちびる1975年8月25日
ゆれてる私1975年11月25
昭和51年泣かないわ1976年2月25日
夏にご用心1976年5月25日
ねえ!気がついてよ1976年8月25日
もう一度だけふり向いて1976年12月5日
昭和52年あなたのすべて1977年2月25日
気まぐれヴィーナス1977年5月15日
もう戻れない1977年9月5日
しあわせ芝居1977年11月5日
昭和53年追いかけてヨコハマ1978年2月25日
リップスティック1978年6月5日
20才になれば1978年9月5日
冬色の街1978年12月25
昭和54年サンタモニカの風1979年2月25日
MISS KISS1979年5月25日
パーティーイズオーバー1979年8月25日
LADY1979年11月25日
昭和55年美しい夏1980年4月21日
夕暮れはラブソング1980年7月21日
神戸で逢えたら1980年10月21日
昭和56年化粧1981年1月1日
玉ねぎむいたら…1981年5月1日
ミスティー1981年6月5日
This is a “Boogie”1981年9月21日
昭和57年1982年8月5日
昭和58年眉月夜1983年9月5日

もしこの中で動画を見てみたいというな、という人はサイドバーから、お目当ての曲をクリックしてみて下さい。

シングルレコードにつきましては、すべて揃っております。

桜田淳子さんの誕生秘話

桜田淳子さんの誕生日は昭和33年4月14日午後8時です。

長男・S.Iさんが10歳、長女・S.K(現H.K)さんが7歳に次いで、桜田家の次女として誕生。

体重は3000グラム。

誕生時の気温は5.5度、湿度50%、雨のち曇り、北東の風または南西の風。

お父さんのS.Kさんは『惇子』と名付けました。

しかし秋田市役所新屋支所に出生届けに行くと『惇』の文字は当用漢字にはないと言われます。

そこで考え直した末に『淳子』と命名したそうです。

製紙会社に勤めておられたお父さんは会社でも芸達者として有名で、お母さんは実家が呉服屋を営んでおられたことから、スラリとした秋田美人として知られており、淳子さんは、ご両親の良い所ばかりを受け継ぎました。

淳子さんが小学校5年生の時に秋田市で日本テレビの『お国自慢日本・ちびっ子まねっ子コーナー(司会は三波伸助さん)』が行われることを知り早速応募して、出場します。

歌った曲は森山良子さんの『禁じられた恋』で、見事に三位入賞でした。

小学校六年生の時の担任だった藤田先生から桜田淳子さんは「吉永小百合」というニックネームを付けられます。

まさにその頃から光り輝く女性だったのですね。

ちなみに視力は小さい頃から悪く、右0.01、左0.1。

デビュー直前の日記より

桜田淳子さんは、秋田市立秋田西中学校に入学した後に卓球部に入部しましたが、当時から視力が0.01だったので早々と退部しました。

そして先輩部員が1人しかいなかった演劇部に入部して、女性ばかり7人も集めて、その後演劇部長に就任します。

淳子さんが中学2年生になった時に初めての後輩が入ってきて、先輩、先輩と呼んでくれる後輩たちに嬉しくもあり、恥ずかしくもあるという感情を抱く。

そしてとうとうこの年が、今後の桜田淳子さんの運命を決定すべき年になってしまいます。

5月21日(日)くもり

『スター誕生』を見ていたら、白い文字で、秋田地区のスター誕生の予選会があることを知り、自らハガキを書いて応募する。

7月8日(土)雨

『スター誕生』秋田予選大会、一次予選を突破する。

7月9日(日)くもり のち 晴

『スター誕生』秋田予選大会、二次予選も無事に突破する。

歌った曲は「見知らぬ世界(牧場ユミさん)」です。

ちなみに山口百恵さんが歌ったのも牧場ユミさんの「回転木馬」です。

ただその時の映像が残っているのは桜田淳子さんだけで山口百恵さんの場合は音源だけしか残っておりません。

片平なぎささんはスタ誕で「天使も夢みる(桜田淳子さん)」を歌っています。

松田聖子さんは『ミス・セブンティーンコンテスト』(CBSソニー主催)に参加した際に、桜田淳子さんの「気まぐれヴィーナス」を吹き込んだテープを送って、九州大会で優勝したのが芸能界入りのキッカケとなりました。

ちなみに森昌子さんが歌ったのは、都はるみさんの「涙の連絡船」です

秋田予選会

秋田予選大会にむけての淳子さん

7月19日(水)

『スター誕生』予選大会。

会場から500点、審査員から500点、合計1000点満点のうちの573点を獲得し、いよいよ決戦

大会に向けて準備を始める。

会場の外で審査員を務めていた阿久悠さんの奥さんから「頑張ってね」と声をかけられる。

やはり桜田淳子さんは、この頃からひときわ光っていたのでしょう。

しかしお母さんから歌手になることを猛反対され、母娘の口喧嘩が絶えなくなるが、「どうせ受かるわけないんだから、想い出作りとして、出場だけはさせて」と妙に説得してしまう。

9月6日(水)

『スター誕生』第7回決戦大会(於 東京後楽園ホール)。

第4代グランドチャンピオンに輝く。

スカウントマンのプラカード31社中25社が上がる。

これ以降各プロダクションの挨拶を受けるが、両親は当然に反対。

ただ東京の大森に叔母さんがいることから、またまた持ち前のガッツで両親を説得。

10月3日(火)

所属事務所がサンミュージックに決定する。

あの青春スター森田健作さんの所属する事務所です。

明星なんかでしか森田健作さんを見たことがなかった桜田淳子さんは感動。

これが当時の森田健作さんです。

そして「私なんかが、森田健作さんのようになれるのだろうか?」との一抹の不安も。

10月26日(木)

上京。

サンミュージックに行き、社長の相沢さんと制作部長の福田さん(現サンミュージック専務)にご挨拶。

大森の叔母さんの家にお世話になることに。

そして翌々日より早速、レッスンが始まる。

11月1日(水)

秋田西中から品川中学へと転校。

11月25日(土)

レコード店などに挨拶回り。

『スター誕生』の時にかぶっていた白のエンジェルハットのイメージが強かったのか、どこに行っても嬉しいくらいの応援があり、感動する。

12月1日(金)

初めての雑誌の撮影。

雑誌は明星。

あの明星に載るんだと思うと胸の高鳴りを覚える。

1973年2月25日に華々しく「天使も夢みる」でデビュー